Le delire de l'amour
18世紀末~19世紀をメインに夢を見る。


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2016.03.15  「腐女子」の境界 <<21:10


友達と話していたり、クラスメートの会話を聞いていたりして、いったいどこからが「腐女子」なのかが最近気になっています。
一番仲の良い友人は自分を「腐女子」と見なしていて、好きな漫画やアニメで「ボーイズラブ」妄想をするのが好きだと語っています。また、クラスで一番声量の大きいグループは今人気らしいアニメ「おそ松さん」でその類の妄想話をするので、全くそのアニメを見たことがない私でもどんな性格のキャラクターが出てくるのかが何となくわかるようになりました。

まず、「腐女子」は「ボーイズラブが好きな女性」のことと一般的に認識されています。
たとえばよく言われる、実際の関係や作品上では恋愛関係にない男性二人をカップルとして扱い、妄想するのが好きな女性は確実に「腐女子」と言ってしまって問題はないと思います。
また、宣伝などであからさまに「ボーイズラブ」を謳っている作品を好んでいる女性も「腐女子」でしょう。
ほとんど読んだことがないので偏見になってしまいますが、これらの中のほとんどの作品が「男性同士の恋愛がなければあまり面白くない」のだと思われます。(主に男女間の)恋愛を抜いてしまうとつまらない多くの(恋愛を題材とした)少女漫画と同じように。(もちろん、恋愛を描いた少女漫画で、かつ恋愛を抜いても面白いものも存在しますが)

しかしながら、「ボーイズラブ」ではないけれど、男性同士の恋愛関係を描いた作品も多数存在します。
たとえばフランスの作家、エルヴェ・ギベールの小説や(彼の(少なくとも邦訳されている)作品の大多数は同性愛者であった彼自身の私生活が反映されています)や、刑務所で恋に落ちた男性に会うために脱獄を繰り返す詐欺師が主人公の映画、「フィリップ、きみを愛してる」など。
先述した意味での「腐女子」で、かつこれらが好きな人は存在するでしょう。ですが、これらの作品が好きな女性は全員「腐女子」なのでしょうか。

どうして私がそう思ったのかというと、これらの作品は「男性同士の恋愛を引いてしまうと、つまらなくなるもの」ではないと感じているからです。
ギベールの作品を例に取ると、先述の通り彼の作品は私生活を元にしているので、彼がゲイだったことは「どうでもいいこと」とは言えません。ただ、彼の作品のおもしろさが「同性愛」をテーマにしていることだけに依存しているとも思えません。
ヴァンサンに夢中(リンクはamazon)という作品は年下の恋人(男性)との恋をテーマにした作品ですが、恐らく普遍的な恋愛感情が表現されています。
たとえば、
「ほんとうにうれしくて、そのために、ぼくの態度はかえってよそよそしいものになった。幸せのあまり身体がこわばり、気持ちがすくんでしまったのだった。」(36ページ)
という部分は私も共感を覚えます。(ちなみにこれはイタリア(うろ覚え)に旅行していたギベールのもとにヴァンサン(恋人)がやってきたが、ギベールは冷淡な態度をとってしまった、というシーンです。)
また、映画の「フィリップ~」も、(少し前に深夜のTVで放映していたものをちょっとだけ観ただけですが)見どころは「恋人に会いたいがためにユニークな脱走を繰り返す」部分だと思われます。そして、作中で「ゲイの生活は金がかかるから詐欺をしなければならない」と言われてはいるものの、脱走劇自体は男女カップルや女性同士のカップルに置き換えても面白さが損なわれるとは思いません。もっとも、映画はプロットだけではなく監督や俳優などの力量にも関わってくるのでしょうけど。

ですから、ギベールの作品や「フィリップ~」が好きだという女性がいても、彼女が必ずしも「腐女子」であるとは限らないと思うのです。必ずしも「男性同士の恋愛」のみを求めて作品に触れているのではないと。

先ほど、「ボーイズラブ」を謳った作品は恋愛を抜いたら何も残らない、と言いましたがそうとも限らないのかもしれません。
その作品たちの中にも、一般の文芸作品に勝るとも劣らないものがあるのかもしれません、私が気づいてないだけで。
となると、そのような作品が好きな女性は100%「腐女子」であるのかといわれるとまた判断が難しくなります。
(もっとも逆もまた然りで、一般の文芸作品のなかでも(結果的にそうなったにしろ)見所がそれしかないものもあるでしょう)

最後に私自身が腐女子なのかと言われると・・・微妙です。
2、3年前(私がこのブログを頻繁に更新していた頃)は確実に「腐女子」でした。実際には恋愛関係になかったであろう男性二人で妄想したこともけっこうありましたし。「ボーイズラブ」を謳った作品にはあまり触れませんでしたが。
ただ、今現在はそういった妄想はほとんどしていませんし、昔にはまったそういうものをみても「何が面白かったんだろう?」と疑問すら浮かびます。
しかし、ギベールの邦訳作品をほぼ全部図書館で借りて読破したり、「フィリップ~」が放映されていたら観たりしているし、男性同士の恋愛に嫌悪感などは特に覚えません。恐らく、男女の恋愛などと同じようにとらえているのだと思います。

No.210 / 読書記録 / Comment*1 / TB*0 // PageTop▲

2015.09.22  Laisse-moi...laisse-moi... <<01:43


前にフランス・ギャルに関しての記事を書きましたが、今回は私が彼女並みに、いや彼女より好きなシャンタル・ゴヤのCDレビューです。

シャンタル・ゴヤは1946年生まれでベトナム、サイゴン(現・ホーチミン)出身。フランス人とカンボジア人のハーフだそうです。
ただし、生年は1942年となっている資料もあって、例えば日本語版とフランス語版のwikipediaは42年、私が持っているCDについてきた解説や英語版wikipediaは46年となっていました。なんとなくですが46年となっている方が多い気がします。
64年にデビューした後はゴダールの「男性・女性」で主演を務めたりいくつかの映画に出演、また「乙女の涙」が日本でもヒットするなどしますが、その後は子供向け歌手に転身、今に至る。
という感じですかね、wikipediaやらCDの解説やらを見ながら書いてみました。
いくら彼女が好きだといっても子供向けの歌についてはよくわかりません。公式サイトも見てみましたが、なんとなく「欧米の子供向けのものってこんな感じだよな」という感じです。(一応こう私が言うのにも根拠があって、私が5~6歳のころ3か月くらい父親の仕事の都合でカナダに滞在していたことがあるのですが、TV番組や(女の子向けの)絵本がこのような雰囲気だったのです)と書いても全く伝わらないと思うので、興味のある方はそのサイトをご覧ください。日本語版wikipediaの彼女の項目にリンクがあります。

さて前置きは長くなりましたが、CDの感想です。例によってまた好きな曲だけです。
私が持っているのはLes annees 60(リンクはamazon)です。曲目は同じでもCDによって順番が違うようです。

1.C'est bien Bernard(ベルナールは人気者)


PV(?)はずっと頭を振っているだけといういまいちわけのわからないものになっていますが、好きな曲です。(ただし何処かに時代を感じてしまうのはなぜでしょうか)

5.Une echarpe,une rose(乙女の涙)


映画「男性・女性」で「日本で6位になった」というのはおそらくこの曲です。
ちょっと前に何かのCMに使われていたような気がするのですが、気のせいでしょうか。誰かのカバーという可能性もありますが、サビに聞き覚えがあります。


13.Laisse-Moi(男性・女性)


原題は「ほっといてよ」という意味。邦題はおそらく例のゴダールの映画に使われたからで、歌詞の内容と映画とはそこまで関係ないと思います。この曲で歌われている相手が映画のポールだとはどうも思えません。このアルバムの中で1番好きな曲です。ベースの躍動感がなんともたまらない。もしベースが弾けたら弾いてみたいです。


16.Mon Ange Gardien(わたしのエンジェル)


曲調はとても好きなのですが...なんかリズムがずれている気がします。わざとなのかリズム音痴なのか、それとも私のリズム感が変なのかは分かりませんが。

映画「男性・女性」もTSUTAYAで借りて見ました。ただし、借りたのがずいぶん前(8月上旬)だったのでよく覚えていません。それでも少し感想を書くと、
・ラストはけっこうびっくり。
・ポール(というよりジャン=ピエール・レオ?)の横顔が印象的
・ポールが実際に車を呼んでくるところ(「ドワネル将軍だ」(当然元ネタはトリュフォーの「大人は判ってくれない」シリーズです)と言ったらしい)が痛快だった
という感じですかね。映画を見てない人には何のことだかわからないでしょうけど、ネタバレはしない方がいい気がします。(とはいっても検索すれば出てきますが)
原作となったのはモーパッサンの「ポールの恋人」「合図」だそうで、「ポールの恋人」の方は本屋で立ち読みしたのですが「・・・ああ、そうだったのか」という感じでした。ただし映画の方は「自殺とは考えられない」と思いますが。もちろん100%モーパッサン通りというわけではないんでしょうけどね。

ここからは余談になりますが、
最近はよく(特に初期の)Queenの曲を聴いているのですが、フレディ・マーキュリーとシャンタルゴヤ、ブライアン・メイとフランスギャルはそれぞれ同い年なんですよね。(フレディとゴヤは1946年(ゴヤ46年生まれ説を採った場合)、ブライアンとギャルは1947年)おそらくはデビューしたのが10年近く違うからなんでしょうけど、ギャルやゴヤはもっと歳がいっていると思っていました。
何で今更Queen?と思われる方もいると思いますが、ちょうどQueenが初来日で熱狂的にはやっていた(らしい)頃に私の両親は中高生だったので、Queenがらみの話はよく聞かされていました。(ただ両親自体はそれほど好きではなかったそうです。あの頃のQueenなら母親の趣味には合っていたと思うのですが、なぜそこまで好きじゃなかったのかは謎です)

No.207 / 音楽、観劇などの記録 / Comment*4 / TB*0 // PageTop▲

2015.08.26  マーキュリーの怪 <<22:16


夏休み中は思ったより忙しかったです。学校の課外も半分くらいありましたし、祖母の家に行く旅行などで自由な時間は1週間くらいしかありませんでした。ブログの更新も2カ月ぶりになってしまいました。

そんなこんなで始まった学校ですが、友達数人と話している途中で、セーラームーンの話になりました。近年新作アニメができたようで、普通のファッション誌にキャラクターがプリントされたポーチのようなふろくがついていたり、アナスイなどのブランドとコラボしたりしているようで、私の周りでもはまったという人がいます。
そして、原作や旧アニメは私が生まれる前にやっていたようですが、私が幼稚園児くらいの時には実写版がやっていました。

私に限らず皆(特に女子)はそうなのでしょうけど、幼稚園~小学校低学年くらいの時はよくごっこ遊びをしました。当時はやっていたのはプリキュア(初代)やぴちぴちピッチだったのですが、セーラームーンも割と題材になっていた気がします。
そして友達もそうだったようで、その話で盛り上がっていたのですが、その中の一人が
「一番人気だったのって、マーキュリーじゃなかった?」と言って、他の友達も「そうだよね~!」「取り合いになってた!」と言っていたのですが、私が当時の友達と遊んでいたときには、マーキュリーはあまり人気がありませんでした。
それを話すと、「え、意外!」「何で?」と当然ながら彼女たちは疑問を抱いていました。

今もそうなのか分かりませんが、当時の子供たちの間では水色がとても人気色でした。ピンクも同じくらい人気でしたけど、水色の人気たるやおそろしいものがありました。例えば先ほど挙げた「ぴちぴちピッチ」では、私の周りでもイメージカラーが水色であるキャラクター(調べたところ、''宝生波音''だそうです。すっかり名前を忘れていました)をやりたいという人がやたらと多かったのが思い出されます。
そして、ネットで調べたところ、旧アニメの頃の人気投票でもマーキュリーは1位だったようで、ますますなぜ私の周りでは彼女の人気がなかったのかが気になってきました。そして、ゆっくり思い出したところ、いくつかの要因が見当たりました。

まず、彼女の髪が短かったこと。何故か私の周りでは「髪が長い=お姫様」的なイメージがあって、セーラー戦士の中で彼女は髪が短めだったため、あまり好まれなかった気がしました。
そして、ドラマ版オリジナル展開だったそうですが、彼女は途中で悪の組織に洗脳されて、「ダークマーキュリー」になってしまいます。そして、みんな悪役には純粋な憎しみ(というより「悪いものは悪いんだよ」という感じ?)があったので彼女のイメージは闇落ち以来悪くなってしまったのです。ちなみに、当時の私はけっこうダークマーキュリーが好きだったのですが(特に衣装)、このような風潮があったため人には言えませんでした。
というわけで、幸か不幸か私の周りで彼女の人気があまりなかったので、私によくマーキュリー役が回ってきたんです。(セーラームーンに関しては私はあまりこだわりがなかったので。)そして、私もけっこう喜んで演じました。ちなみに私の周りでの人気の役は主人公(ムーン)とヴィーナスでした。

確かに、私は小学校の時札幌市に住んでいなかったので色々違うのは当然のことでしょう。ただし、なぜここまで違いが生まれたのかは、理由を考えてみてもわかりません。他にもこのような違いはあるのでしょうか。


No.206 / 日常と学校のこと / Comment*2 / TB*0 // PageTop▲

2015.06.14  ある土曜日の朝三時、 <<18:12


遠足は晴天のうちに終わりました。翌日は筋肉痛で静かに苦しみましたが。バスレクも大盛況だったようで良かったです。
そして記事カテゴリに「その他諸々」がやたらと増えたので学校のことや読書記録など、細分化しました。ただし、困る記事もあって、メインは学校だけれどフランス革命にもやたらと触れている場合はどうすればいいのかなど、かなり悩みました。とりあえず一番メインになっているもののカテゴリに入れましたが、もう少しカテゴリについては考えます。

光文社古典新訳文庫からエミール・ゾラの「オリヴィエ・ベカイユの死・呪われた家」が出ました。
(気付かないうちにamazonへのリンクができなくなったようです)
「オリヴィエ~」はゾラ・セレクション(藤原書店)の「初期名作集」におさめられていましたが、他の「ナンタス」「呪われた家」「シャーブル氏の貝」「スルディス夫人」は身近に読める本には収録されていないと思います。
今回は、この5つの短編のうち特に好きな冒頭の3つについての感想を書きます。

(ミステリではありませんので致命的ではないと思いますが、ネタばれがありますのでご注意ください)

「オリヴィエ・ベカイユの死」
「ゾラ・セレクション」収録(そちらは「オリヴィエ・ベカーユの死」でしたが)の時から好きな短編の一つでした。
パリに出てきたばかりの主人公、オリヴィエは意識はあるものの、体が動かなくなってしまいます。死んだとみなされた彼は、埋葬されてしまいますが、やがて体が動くようになったのでなんとか脱出することができました。しかし、彼の妻は丈夫な男と再婚することになっていました。オリヴィエは幸せに暮らしている妻の様子を想像し、自分はもう死んでしまったのだから嫉妬などはしてはいけないと言い聞かせました。その後彼は旅をして平凡に暮らしているようですが、死ぬ気配はまったくないようです。

「死は、もう怖くない。けれども、死神の方が僕を望んではいないようだ。今の僕には、もう生きる理由がまったくないというのに、死神は、ひょっとして僕を忘れているんじゃないだろうか。」

死んだと思われた人が棺の中で蘇生し、脱出を試みる話は色々あります。(代表的なのはポーの「早すぎた埋葬」でしょうか)私が小学生の時に学校の図書館で読んだ話は、妻が愛人とはかって主人公をいきたまま埋葬し、主人公は墓から脱出しようとするのですが、苦しんで死に至るというものでした。タイトルは忘れましたが、子供心に強烈なトラウマを刻みつけたことだけはよく覚えています。そしてこの短編を読んだときも「あ!あのパターンだ!!」と心が徐々に締めつけられていくのを感じました。それだけにオリヴィエが脱出に成功できたときはほっと胸をなでおろしました。

そして最後の一文は、先ほども引用した「死神は、ひょっとして僕を忘れているんじゃないだろうか。」です。オリヴィエが仮死状態に陥った時はまだ若かったようですので、普通に考えると天寿をまっとうできる年齢になったけれど、まだ死なないということでしょう。しかし、「あちこち旅をしつつ働いている」ということを考えて、ひょっとして彼は生き返った姿のまま、歳をとっていないのではないのかと思ってしまいました。歳をとらないと怪しまれるので、色々なところを転々としているのではないかと。ひょっとしたら、今も彼はどこかで生活しているのかもしれません。

「ナンタス」
パリへ出てきたけれど職にありつけず、貧窮していた主人公ナンタス。ある日、彼はあやまちを犯した貴族の令嬢と名目だけ結婚するかわりに、たくさんの富を得るという取引に応じます。その令嬢は、「私はあなたを愛さないし、私は自由だ」と宣言しました。10年後、彼は財界、産業界、政界でとても高い地位へと上り詰め、ついには財務大臣になりました。しかし妻は彼に無関心で、ナンタスは愛してほしいと彼女にすがりますが、邪険に扱われます。。そして、彼は妻の密通現場を抑えてしまいます。その場では冷静な態度を貫いた彼でしたが、一人なると拳銃自殺を試みます。しかし、いざ引き金を引こうとした時、彼の冷徹な態度に打たれた妻が来て、彼の首に抱きついて言いました。「あなたが好きよ。だってあなたは強いんだもの!」

この文庫のあとがきでは、「獲物の分け前」と類似していると書いてありましたが、私は一読して、むしろ「ウージェーヌ・ルーゴン閣下」に似ていると思いました。(前に書いたレビューはこちら。あらすじもそれなりに詳しく書きました)超人的に仕事をするところとか、妻(「ルーゴン閣下」の場合はクロランド)にすがるところとか。あとラストの妻の台詞がクロランドのそれに似ているなと。
ただしルーゴン閣下はもともと女より金より何よりも権力が欲しい!という人物で、そもそも結婚から出世したわけではありません。
ちなみに執筆時期は「ルーゴン閣下」は1876年(有名な「居酒屋」の前)で、「ナンタス」は78年なので、ナンタスが「ルーゴン閣下」(と「獲物の分け前」)の影響をうけて生まれたのでしょう。

「呪われた家」
主人公はとある廃屋敷に目をとめます。地元の女によると、「昔ここに住んでた家族がいたが、妻が死んだあと夫は再婚相手を見つけた。しかし、前の妻との一人娘であるアンジュリーヌは継母と憎み合い、ある日殴りつけられ殺されてしまった」ということでした。しかし、その後、その屋敷の元主人とも親しかった老詩人による話はまた違ったもので、「父親に愛情を抱いていたアンジュリーヌは継母に嫉妬し、ついには自殺してしまった」というものでした。そして1年半後、主人公の友人が屋敷を買ったので訪ねてみると、例の継母の親類だったその友人が真相を教えてくれたのです。「継母はアンジュリーヌのことを愛していたが、彼女は急な発熱で亡くなってしまい、その悲しみのあまり誰ひとり屋敷から皆いなくなってしまったのだ」と。その時「アンジュリーヌ!アンジュリーヌ!」という声が聞こえました。しかし、その「アンジュリーヌ」とは、亡くなった例の子供にあやかってつけられた、すくすくと育ってゆく友人の娘の名前だったのでした。

廃屋敷と聞くだけでおどろおどろしかったり、奇怪なものを思い浮かべてしまうのは人の性でしょうか。それにしても人の噂は怖いものです。

この3つの話を見ると、ゾラは怪奇なものになりやすい題材を、希望を持たせるような終わり方にしているように感じられます。
「オリヴィエ~」は早すぎた埋葬をされた上に妻は他の男にとられた話ですので、通常なら復讐譚になりそうですし、「ナンタス」も普通ならあのまま自殺してしまいそうです。「呪われた家」ももっとドロドロした真相を用意しそうなものですし。
ゾラのこの傾向は「ルーゴン・マッカール」にも踏襲されており、たとえば「制作」の主人公は絵の前で自殺しますが、ラストの埋葬シーンでは作者の分身である人物が「さあ、仕事へ戻りましょう」という言葉で締めています。

「ルーゴン・マッカール」など今まで読んだゾラの著作も、その視点からもういちど読み直してみようと思いました。

No.205 / 読書記録 / Comment*6 / TB*0 // PageTop▲

2015.06.04  遠足夢紀行 <<14:47


前回の記事で散々騒ぎたてた合唱コンはどちらも準優秀賞でした。本番は準優勝できただけ良かったと言う出来でしたが、かなり悔しかったです。周りは喜んでましたけど・・・

今日で中間テストが終わりました。できた教科は古典しかありません。数学はもう、全身を強く打って死亡です。

そしてもう少しすると遠足があるのですが、私はバスレク係をやることになりました。昨年はOKだったCDを流す行為が(おそらく)ダメになったので意気消沈しています。クラスのみんなからお気に入り曲を集めるので、普段聴かないようなジャンルの曲を聴けるのが楽しいのです。もしかすると音楽プレーヤーはいいかもしれませんが。
昨年は斑対抗☆クイズ大会(景品アリ)だったのですが今年はまだ迷っています。(☆に意図はありません)
考えている案としては、
・いつどこでだれがどうしたゲーム
通常は班ごとで集めますが、列ごとに「誰が」「どうした」などを書かせて、こちらでランダムにシャッフルしてもいいかも。
・ラジオ的投書
事前に「修学旅行での爆笑話」などをあつめて、ラジオみたいに発表とか。
・斑対抗クイズビンゴ
事前にカードを作って、25問作って正解したチームから「次3番!」とするとか。
4択くらいで全斑参加できた方がいいですね。
・風船わりゲーム
昨年度の修学旅行の時にやりました。ただ、割れる音が嫌だという人もいたのでダメかな。

景品(多分お菓子)の有無など他の係の人とも話したいんですけど、今までテストだったため時間が持てませんでした。

バスのテレビもなく、本来ならば学校の規則で「静かに、品位を持って」乗らなければいけないらしいのですが、常軌を逸しなければいいかなと思って企画します。今年はバスの関係上他クラスの人も来るのですが、仲がいい子が来ればいいなと思っています。

No.204 / 日常と学校のこと / Comment*2 / TB*0 // PageTop▲

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